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こちらでは浜急行鉄道株式会社の沿革を紹介します。
1944年8月1日  浜軌道設立。軍の指令により逗子海岸〜新橋間の軌道を整備。開通までの間、バスが運行。同年秋には逗子海岸〜国鉄逗子間に海岸線を石炭で走る小さな鉄道(車輛は1形〜8形)が敷設された。(1〜6形は旧省線車輛を改造)
1947年1月10日 浜軌道株式会社による第一営業区間の神奈川(仲木戸)〜逗子間が開通。当時は一部単線で全線が地上駅で現在の八景線の軌道とは少しずれた位置を走っていた。また、営業するに当たって浜80系をある鉄道会社から中古で買収した。
1947年8月15日 浜6・7・8形および80系と、第一営業区間の神奈川(仲木戸)〜逗子間の複線部分の片側がGHQにより搾取された。このため、急遽800系として別の鉄道会社から中古買収が余儀なくされ、開通したばかりの区間は全線単線となってしまった。(一部すれ違い設備は残る)800系はその後、1950年まで増備が続けられた。
1949年12月1日 2年遅れで第二営業区間の弘明寺〜新橋間が単線で開通。同年、浦和高速鉄道株式会社が設立される。また、輸送力アップのため900系(一部、800系からの改造車有り、49〜52年まで増備)を中古買収。この年より浜電気鉄道と名称変更。
1950年4月1日 浦和高速鉄道株式会社の営業運転開始にあたり、浜電900系と同じものを中古で買収。これをきっかけとして浜電と浦和高速との間で三浦半島から武蔵野方面への輸送を行う計画案がまとまる。
1950年8月1日 浦和高速鉄道株式会社の第一営業区間錦糸町〜新浦和間開通。浜電気鉄道第一営業区間の神奈川(仲木戸)〜逗子間の複線化工事が進む。
1952年4月1日 浜電不動産株式会社を立ち上げ、沿線の宅地開発に取り組み始める。
1952年4月28日 GHQの廃止に伴い、接収された土地、および車両が返還される。
これにより、6〜8形および80系が車両更新を実施し運用に復帰。
1954年8月1日 浜電創立10周年記念のイベントが金沢八景駅で行われた。また記念として横浜羽沢に車庫を建設し、浜電車輌オリジナル初の旅客車輌、1000系を導入した。
1956年11月1日 浜電中山〜横浜羽沢間が開通。当初青葉台までの計画だったが工事申請のミスにより、営業区間が浜電中山までとなってしまった。以降2005年までこの計画は放置されることになる。
1957年3月1日 浜電の輸送力アップをはかり、今までの3両編成から4・6両編成に車輌を組み替え、ホーム長延長工事を全線で開始した。
1960年4月1日 浦和高速鉄道の扇〜吉川、吉川〜市川間がそれぞれ開業。これにあわせて増備車輌として浜電1000系の車輌を採用。
1964年8月1日 浜電20周年の式典が行われ、記念イベントも同時開催された。この年より、車輌のカラーリングを一変。現在の1000系カラーとなる。
1965年 浦和高速鉄道の新浦和〜舎人新田間が開通。大宮方面から都心方面への通勤通学が楽になった。また1000系を増備し8両編成での運転を開始した。
1968年 浜電にも8両編成の特急が登場。次世代車輌導入が急がれる。
浦和高速鉄道株式会社から900系を買い取り、車両不足の解消を実施。
(段階的に〜71年まで)
1969年 浦和高速鉄道はCACRS舎人線に改名。
1970年 浜急行鉄道株式会社と名前を変更。また、次世代1000系となる1500系が登場。浜急車輌初となる両開き扉採用車輌で、界磁チョッパ制御を導入した。
1972年 仲木戸〜錦糸町間が開通。神奈川駅を廃駅とし、仲木戸駅を始点とした。
1974年8月1日 浜急開業30周年式典及び記念イベントを実施。
1979年 輸送力増強のため浜急線の特急に12両編成が登場。横浜羽沢駅から切り離し、一方は八景方面、もう一方は中山方面の快速電車となった。同年、吉川〜蘇我間が開通。翌年の年始は成田山方面への初詣客でにぎわった。
1980年 浜急すとあ株式会社を創立。浜急全ての駅に小さなスーパーができる。
1981年 新橋〜市川間が開通。横浜羽沢〜新橋〜吉川〜蘇我間の路線を東京湾環状線と名前を変更。
1983年 龍ヶ崎高速鉄道株式会社が浜急系列の傘下に入る。企業グループ、浜急グループのひとつとなった。
1984年8月1日 浜急開業40周年式典及び記念イベントを実施。
1987年5月8日 扇〜新橋間(飯田橋経由)が開通。(sato9cho生まれる)
1990年 浜急2000系登場。全ての800系車輌は廃車となる。(ただし、これらの車輌の一部は永久保存が決定した。)浜急で初のVVVFインバータ制御を採用したこの車輌は、通勤時間の混雑をある程度緩和させ、しばしば発生していたダイヤの乱れを解消した。
逗子〜逗子海岸間を「鎌倉・逗子観光交通局」に護渡。(800系・80系・6〜8形も同時に譲渡)
1994年 浜急開業50周年式典及び記念イベントを実施。また、50周年記念として、21世紀に向け東京湾環状線、横浜羽沢〜蘇我間の工事を本格的に着手。
1995年 浜急のイメージをアップするため2000系2次車(2500系)を導入。浜急900系廃車。なお全車両を保存することが決定。
1997年 sato9choこの案を発案。(当時は自由帳に描いていた)
2001年1月1日 横浜羽沢〜蘇我間開通。東京湾環状線が環状線となり、新横浜・金沢八景方面から成田空港へのアクセスが非常に便利となった。
2001年11月3日 SYMGROUP発足。
2002年4月1日 浜急3000形登場。浜急初のドイツ製モーターを採用した。
2004年10月2日 浜急開業60周年式典及び記念イベントを実施。同時に浜急9000系登場。(8月1日登場。現在車内にトイレの設置工事実施中)長距離区間の需要が増えたため、特急用の車輌を導入した。同年弘明寺〜下土棚(長後)間が開通、湘南方面からの成田空港利用客の需要拡大を狙い、神奈川電気鉄道(現:神奈川鉄道)との相互乗り入れを開始した。また、乗り入れの便向上のため、磁気カード読み取り機器(自動改札機)を導入した。IC濱カード発売開始。
2005年3月28日 長後駅完成。神奈鉄線への乗り入れ拡大。
2005年6月1日 浜急全線において新型ATSまたはATCの導入を検討、女性専用車輌の試験導入を行う。
2005年10月1日 東京電鉄線との乗り入れを開始にあたり、瑞穂急行電鉄を合同出資。(旧印西沼南電鉄を買収し常盤(ときわ)線を敷設。06年より東奈急行も出資)また、梶ヶ谷公団線(現:東電梶ヶ谷線)との乗り入れも開始することが決まったため、浜急中山〜青葉台間線路敷設計画が持ち上がり、10月1日より開業した。浜急線においては、通勤特急全電車に女性専用車輌を導入され、また、新横浜〜松戸・扇、仲木戸〜舎人公園間は日中の一部快速にも導入された。
2006年3月 茨城臨海高速鉄道線(通称:IRKT線)(神奈鉄・東電・浜急の3社が合同出資し、第3セクターとして)開業、同時に相互乗り入れ開始。
東奈急行線との乗り入れを開始。羽田空港〜成田空港間のエアポート号運行開始。
2007年8月 山手外環状ライン線と相互乗り入れ開始。これに伴いCACRS線から7000系・6000系を1500系と車両トレード実施。(7000系→70系、6000系→60系)
浜急新800系導入。浜急初の20M、幅広車となる。
2008年3月23日 浜急線に新種別「快特(KAITOKU)」が登場し、より停車駅が分かりやすくなった。「特急エアポート号」と「特急」種別の区別において停車駅が異なることから誤乗車が発生していた。また、山手外環状ラインとの乗り入れ線が拡大。
一方、朝ラッシュ時に再び「通勤特急」が登場し、20M車10両編成か18M車12両編成による運転に統一され、障害者と女性の専用車が八景寄りに設置された。
2008年5月15日 東電溜池線と瑞急沼南線との乗入れが開始。また山手外環状ラインとの乗入れ路線が拡大した。
2008年8月1日 浜急線の新型車両新900系・950系が導入された。
これにより浜急線の20M車化が進むことになる。
2008年10月16日 首都急線・川口急行線との相互乗り入れを開始。浜急線待望の東京駅・伊香保温泉に乗り入れる。
2008年11月14日 東電グループ東玉交通LRTとの相互乗継制度を導入。
北葛飾方面の利便性と環境を考えたP&R方式を導入するにあたり、当社用地一部を転用した。また、吉川駅においても環境に優しいE-sta(いーすて)に生まれ変わった。
 

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